カタカナ表記は使えない

琉歌をやるひとなら誰でも歌える「かじゃ廙ふーぶし」を例にとってみます。分かち書きカタカナ表記にしても歌の内容=曲想がまったく表現できないのが分かるでしょう。

<カタカナ表記>
キユヌ フクラシャヤ ナウニジャナ タティル
ツィブディ ウゥル ハナヌ ツィユ チャタグトゥ

短いものでも分かりにくいのに、長い歌詞となったらどうしようもありません。本ブログで推奨する沖縄文字を使用して表記すると

<沖縄文字表記>
ぬふくらしゃや な歹にじゃなた廒る
滋ぶ廙歹るはなぬ 滋ゆたぐ婢

のようになります。いかがでしょうか。沖縄語の意味も発音もちゃんと取れます。参考までにこのブログにある「金細工節」を見れば、これをカタカナ表記で読まされるのは苦痛です。仮名文字を変形させた字体は必ずしも美しくないかも知れませんが、今のところこれより優れた表記法はないでしょう。例の琉歌でカタカナ表記の「ウゥ」は「u」の非破裂音を表す約束ですが、初見だと「うぅ」と唸りそうです。実際に「うぅ」と発音しているとんでもない歌い手がいました。

沖縄語をカタカナ表記する人たちが「言葉は基本的には音(音声)だから」というのは否定しませんが、音声絶対主義でカタカナ表記に固執するのは誤りです。共通の祖語から派生した沖縄語なのですから、共通語話者にとって理解、発音しやすい方法を取るべきです。

「初級 沖縄語」について

今年の1月に出版された「初級 沖縄語」(花薗悟著、国吉朝政協力、西岡敏、仲原穣監修 研究社 2420円)(琉球新報社の書評)です。
<想定読者>
本書全体は外国人への初級日本語教育テキストの体裁で、沖縄語の日常会話ができるようになっています。しかし、この本の沖縄語が話せるようになったとしても、それを使用する場がありません。地域、学校、職場で沖縄語は使われていないのです。つまり、誰も話さない言葉を学習することになります。沖縄語の保存・継承を目的とするのであっても、生活、文化に根ざしていないのでは意味ありません。著者は「首里方言をベース」にしたとのことですが、その妥当性については明らかではありません。沖縄本島内でも各地の方言(島言葉しまく婢ば)の差異が大きいので、この本の沖縄語が通じない地域が多数あるはずです。特に琉球王国時代に人頭税を始め過酷な徴税に苦しめられた宮古、石垣、与那国には独特の方言があり、王国の御殿言葉でもあった首里方言には強烈な反感があります。
<確認不足>
ある書評では掲載文に明らかな誤りがあることが指摘されています。一例として、第9課で共通語の「元気なはずです」を「ガンジューナ ハジ ヤイビーン」としているのは、「ガンジュー ヤイビル ハジ」が正しいと指摘されています。著者は大学の研究者なのですから、母語話者複数名から十分な確認を取るべきで、本として出版する以上、初歩的な誤りがないようにしたいものです。なお、その書評では母語話者に確認しながら本書で学習すべきと注意があります。これでは身近に首里語話者がいないと、この本では沖縄語の正しい学習ができないことになります。
<表記>
沖縄語が全てカタカナ表記になっているので、非常に読みづらいです。「漢字を用いると漢字に頼ってウチナーグチの音を憶えなくなってしまう危険性がある」としていますが、どのような実証がなされているのでしょうか。ちゃんと実証比較をせずに「危険性がある」と断定するのは、大学の研究者としていかがなものでしょうか。同じ日本語を祖語としている共通語(いわゆる標準語)の読者にとっては、漢字仮名混じり文で書かれた方が読みやすくて当然です。ウチナーグチの音を憶えるかどうかとは別問題です。参考までに「んかしむぬがたい」(國吉眞正 琉球新報社)に目を通されることをお勧めします。また、ウチナーグチ特有のグロッタル音(声門破裂音)について「この音の習得が容易ではない」という理由から、まったく重きを置いていません。しかし、私が以前出席していた沖縄語の教室では、初学者であってもすぐにできるようになっています。なお、その教室にはこの本の著者も自身の職業、参加目的を明らかにせず数回参加していましたが、一言も発することなくじっと黙って座っていたのが印象的でした。
<結論>
以上、これから沖縄語を勉強しようとするひとの多くは沖縄民謡のためと思われますので、本書のような語学テキストではなく、たとえば「うちなーぐちさびら」(船津好明 琉球新報社)や「沖縄語の入門」(西岡敏、仲原穣 白水社)を読まれることをお勧めしておきます。