組踊理解に向けて

伝統芸能である組踊を鑑賞する上で、共通語(いわゆる標準語)に近い言葉で書かれている台本と、実際に舞台で唱えられている沖縄語の違いに戸惑います。沖縄語の話者であれば、台本を沖縄語に「読み下す」ことは造作もないことですが、私たちのように共通語に慣れているものにとっては、唱えを理解できません。例えば、能「羽衣」に着想をえた「銘苅子」を見てみます。独立行政法人日本芸術文化振興会のサイトにある組踊「銘苅子」を見ると、「台本」、「読み」、「現代語訳」があります。「台本」と「現代語訳」は読みやすいのですが、「読み」はカタカナの沖縄語表記で非常に読みづらいものになっています。

冒頭の部分は

ディヨーチャルムヌヤ
ミカルシー
ファルヌイチムドゥイ
ファルヌユッチャイニ
アヌマツィヲゥミリバ
アヌカワワヌムトゥニ
ティントゥヂニフィカリ
サシマワティカラニ
カバシャニヲィダカサ
シジャヌクトゥナラン

これでは言葉としてどこでどう切ればよいのか、まったく分かりません。沖縄文字を使用して、沖縄語の発音を正確に表すと、

よーちゃるむぬかるしー
はるむ嬨
はるぬゆっちゃいに
あぬま滋りば
あぬかわぬむ婢に
廒ん懲かり
さしまわ廒からに
かばしゃに瀞だか
しぢゃぬく婢ならん

のようになります。私たち共通語話者にもがぜん分かりやすくなりますね。それだけでなく、これから組踊をやってみようという若い人たちにも役にたちそうです。組踊の保存・継承はこのような広く理解されるものにしてゆく努力が必要ですが、現実はただあるがままを舞台に乗せて見せているだけなのは残念です。

金細工節

CD:風狂歌人~ザ・ベスト・オブ嘉手苅林昌~に収録されている嘉手刈林昌(1920-1999)と登川誠仁(1932-2013)によるかんぜーくーぶしです。男女三人によりコミカルに踊られる有名な歌です。この二人の掛け合いは絶妙で、ぜひ一度聞かれることを勧めます。一応、下に歌詞を載せましたが、この通りには発音していない部分も多々ありますが、複合子音や破裂音がどうこうとかかわりなく、自由に歌うふたりのうちなーぐちです。

能天気でお調子者の鍛冶屋の加那、惚れた男に自分の摸相もあい(頼母子講)の金を差し出す真牛もーし尾類じゅり、遊女、芸者)、金が入ってホクホク現金なおかみ、と三者を演ずる嘉手刈と登川は何度聞いても見事です。実際の舞台の環境では聞き取りにくい歌詞は以下を参考にしてください。

=歌詞=
ざ婢じりかんぜーくーぬ てー慠加那かな懲 懲が せるく婢や ひーよーひ-よー 嬨―がねー ゆやっさささ ゆやさぬさー
滋じ婢ちもーさー しまぬん あんねーなしくに さい
えー加那かな懲― ちゅい滋ちさんじゅーにちなるま廙 がかねーや いちゃしゆが
すなもーさー うやぬゆじりぬ ふーちんあいよ かなんあいよ うり廒あんまー 懲んすんてー
うりからよいよい 嬨まいかんじゃやーや ゃりば
ふーちんそり かなんそり さんてーまん こーゆる懲婢や 一人ちゅいらん
うちするうち 婢まいたかはし ゃりば
えーもーさー 揄―や 望ま歹廒 煙草たばくり んやあまじ たーらじん
あまやじゃく婢 てー慠加那かな懲 加那かな懲ん廙ち じんらする懲婢らん
えーもーさー わした歹婢くぬ 婢まいたかはし けー廒ら
ま滛ま廒加那かな懲 じゃるさん廙ちさんにち さん徭ん摸合むえーてうちぇーさ うり廒あんまー 懲んすんてー
さ廒むもーさー う首尾すびさる杖
うちするうち 西にしじょーゃりば
えー加那かな懲くまぬまちちぇーる くーがくびちん じんかたみ廒さちなりよ
うちするうち 婢ちじょーや ゃりば
う流たいびら たーがやー いったーもーさー そー廒ゃーびたん
えー加那かな懲 ちゅい滋ちさんじゅーにちなるま廙 たーもーさーや かんしよーがらち
えーあんまー いったーもーさーや じゃる滋ちから かん嬨あたる
えー加那かな懲 うりんむしが しまぬ滋婢ん かねーんっちゃがや
えーあんまー わした歹婢くぬうりんうくりゆみ
ふー加那かな懲 うらんま嬨やい っちあ流

美ら?清ら?

大型連休で沖縄旅行を楽しまれたひとも多いことと思います。沖縄観光のメインスポットに「ちゅら海水族館」がありますが、「美ら」を「ちゅら」と読むことに違和感があるひとがいるでしょう。実は沖縄語で形容詞の「うつくしい」=「ちゅらさん」です。古語では、例えば枕草子で「美しい」ことを「きよら」としていて、語源は同じなのです。そうすると、「美ら海」は当て字で、本来は「清ら海」とすべきなのでしょうが、共通語話者には「きょらうみ?」と読まれます。そこでフリガナを付けて「ちゅら海」としたようです。厳密なウチナーグチ話者からは「びらうみ」とは何だ!と不評です。しかし、漢字には音読と訓読二通りの読み方があるように、沖縄語読みとしておいてもいいような気がしますが、どうでしょうか。

二童敵討

資料集に玉城朝薫五番のひとつに「二童敵討」があります。能の「夜討曽我」、「小袖曽我」に想を得て、1719年に冊封使歓待の重陽の宴(旧暦九月九日)で初演されたもので、題名は「護佐丸敵討」とも言い、玉城朝薫(1684―-1734)の組踊五番のひとつです。ストーリー自体は単純な敵討ちですが、尊大豪華な敵役、母子別れ、華麗な若衆踊りで構成されます。特に、鶴松、亀千代ふたりの少年兄弟の踊りが見どころでしょう。兄弟は13歳と12歳の設定で、変声期前の少年がたくまずして持つ「花」が朝薫の狙いです。したがって、成人やまして老齢の演者が兄弟をやっては「二童」ではなくなります。演者の高齢化が進んでいますが、若手、特に年少者の育成が望まれます。

家庭組踊

沖縄民謡大全集(フクラレコード)に入っている伊集亀千代(生没不明)による台所用品を役者に見立てた組踊のパロディ「家庭組踊」は面白いのでここにその一部を紹介します。

出様でようちゃるむぬ薬缶やっ彩ん按司あじ
茶盆ちゃぶん、ちゅーかーぬがちねらん
けば箪笥たんし大主うふぬしかくちあん廒やいらしぬあたん
明日あちゃき廒明日あちゃいくし廒
にく大主うふぬしくる退き廒
ゆみ浮世うちゆらくしゅらん婢みば
いすく婢はやみぶさぬやー
鍋子なーび徭しー、あんびんぬ比屋ひゃー
ふー
にがちあん婢む廒
か廒たる茶盆ちゃぶん、ちゅーかーや
きば勝連か滋りん箪笥たんし大主うふぬしかくちあん廒やい、なまちゅる
明日あちゃあきあきいくさし廒
にく大主うふぬしくる退き廒
(後略)
(「ちゅーかー」は急須、「あんびん」は土瓶)

いかがでしょうか。この後、ひぬかぬぐしく(カマド城)に攻め込む様子が、家来のナベにより語られます。

これが一般に笑い受けされるには、第二次世界大戦前には古典の組踊がよく知られていた素地があったからです。事実、戦前の中学生もこの真似をして、仲間で大いに楽しんでいたそうです。うちなーぐち(沖縄語)が普通に使われていた時代には、組踊も現在の沖縄県人の大半が「何言ってんだか分からない」状態ではなかったのですね。