1年以上沖縄語の更新をしませんでした。たびたび本サイトをチェックされた方にはお詫び申し上げます。さしたる健康問題があったわけではなく、これ以上書くべきコンテンツがなくなったのが実情です。前にも言いましたが、すでに沖縄語は社会のみならず、家庭でも使用されなくなりました。事実上、滅亡したと言っていいでしょう。今、沖縄で話されているのはウチナーヤマトグチという沖縄語の影響を受けた共通語(標準語)で、沖縄語と称して紹介するサイトのほとんどはウチナーヤマトグチです。わずかに残っているのは沖縄伝統芸能(組踊り)や民謡の中だけです。沖縄語について入門書、文法書がありますが、それを勉強しても実用性は全くありません。何しろ沖縄語が話せない、話す環境にいたことがない著者が文法書を書いている例もあります。
それでもなお、あなたが沖縄民謡に魅力を感じて始めようというのであれば、『沖縄語辞典』(国立国語研究所編)(国会図書館にダウンロード可のデジタル版もあります)を頼りに、アナログ版のレコードやCDで古い録音を聞くのが一番です。沖縄語の性質上、歌詞カードは参考までにして、どのように発音してるかしっかり聞き取り真似しましょう。なお、最近の民謡歌手はほぼ全員がでたらめ発音で参考になりません。本当の沖縄語話者(生きていれば)が聞いたら、呆れること必定です。
本サイトには沖縄後の有用情報をアップしたつもりなので、しばらく(数ヶ月?)はサイトを開いておきます。ぜひ参考にしてください。最後になりましたが、國吉眞正さん、遠藤友和さんには多くを教えていただき、ここにお礼申し上げます。皆さんには長期間に亘り、アクセス、メールありがとうございました。
友人の皆様へ
遅ればせながら、新年おめでとうございます。
多くの方から旧居宛にいただいた年賀状は現在の仮住まいに転送されてきましたが、昨年の賀状でお知らせしたように紙での賀状は昨年までで、今年より賀状はお知らせしたメールアドレスにお願いしております。頂いた賀状に差出人のメールアドレスのある方にはメールにて返事を差し上げておりますが、不明の方には返事を失礼させていただいております。賀状にメールアドレスの記載がない方は本ブログの「お問い合わせ」をご利用くだされば幸いです。
2023年が皆様に素晴らしい年となりますようお祈り申し上げます。
組踊理解に向けて
冒頭の部分は
ディヨーチャルムヌヤ
ミカルシー
ファルヌイチムドゥイ
ファルヌユッチャイニ
アヌマツィヲゥミリバ
アヌカワワヌムトゥニ
ティントゥヂニフィカリ
サシマワティカラニ
カバシャニヲィダカサ
シジャヌクトゥナラン
これでは言葉としてどこでどう切ればよいのか、まったく分かりません。沖縄文字を使用して、沖縄語の発音を正確に表すと、
出様ちゃる者や銘苅子
原ぬ行ち戻い
原ぬゆっちゃいに
あぬ松ゆ見りば
あぬ川ぬむ婢に
天婢地に光
さしまわ廒からに
かばしゃ匂高さ
しぢゃぬ事ならん
のようになります。私たち共通語話者にもがぜん分かりやすくなりますね。それだけでなく、これから組踊をやってみようという若い人たちにも役にたちそうです。組踊の保存・継承はこのような広く理解されるものにしてゆく努力が必要ですが、現実はただあるがままを舞台に乗せて見せているだけなのは残念です。
金細工節
能天気でお調子者の鍛冶屋の加那、惚れた男に自分の摸相(頼母子講)の金を差し出す真牛(尾類、遊女、芸者)、金が入ってホクホク現金なおかみ、と三者を演ずる嘉手刈と登川は何度聞いても見事です。実際の舞台の環境では聞き取りにくい歌詞は以下を参考にしてください。
=歌詞=
美里間切ぬ伊波ぬ金細工ぬ てー慠加那懲 喰廒加那懲が せるく婢や ひーよーひ-よー 嬨―がねー ゆやっさささ ゆやさぬさー
辻ぬ時ぬ真牛 しまぬ二才達ん 案内なしくに 引ち越さい
えー加那懲― 一月三十日なるま廙 我がかねーや いちゃし呉ゆが
心配すな真牛 親ぬゆじりぬ ふーちんあいよ 金具んあいよ うり売廒あんまー 返済すんてー
うりからよいよい 上泊鍛冶屋や 走ち来ゃりば
ふーち買んそり 金具買んそり さんてーまん 買ゆる人や 一人ん居らん
言る内する内 泊高橋 走ち来ゃりば
えー真牛 揄―や 望ま歹廒 煙草吹ち居り 我んやあま行じ 俵銭借廒来―
あまや行じゃく婢 てー慠加那懲 喰廒加那懲ん廙言ち 銭借らする人や居らん
えー真牛 わした男ぬ 泊高橋 返り落廒ら
ま滛ま廒加那懲 去じゃる三月三日 三貫摸合や取てうちぇーさ うり取廒あんまー 返済すんてー
さ廒む真牛 う首尾さる杖
言る内する内 西武門走ち来ゃりば
えー加那懲くまぬ町屋に置ちぇーる くーがくびちん 銭ん担み廒先なりよ
言る内する内 時ぬ門や 走ち来ゃりば
う流たいびら 誰がやー いっ達真牛 そー廒来ゃーびたん
えー加那懲 一月三十日なるま廙 我っ達真牛や かんしよーがらち
えーあんまー いっ達真牛や 去じゃる月から かん嬨あたる
えー加那懲 うりん済むしが 島ぬ滋婢ん かねーん持っち来ゃがや
えーあんまー わした男ぬうりん遅りゆみ
果報し加那懲 裏座んま嬨やい 入っち遊び
美ら?清ら?
大型連休で沖縄旅行を楽しまれたひとも多いことと思います。沖縄観光のメインスポットに「美ら海水族館」がありますが、「美ら」を「ちゅら」と読むことに違和感があるひとがいるでしょう。実は沖縄語で形容詞の「美しい」=「清さん」です。古語では、例えば枕草子で「美しい」ことを「清ら」としていて、語源は同じなのです。そうすると、「美ら海」は当て字で、本来は「清ら海」とすべきなのでしょうが、共通語話者には「きょらうみ?」と読まれます。そこでフリガナを付けて「美ら海」としたようです。厳密なウチナーグチ話者からは「びらうみ」とは何だ!と不評です。しかし、漢字には音読と訓読二通りの読み方があるように、沖縄語読みとしておいてもいいような気がしますが、どうでしょうか。
二童敵討
資料集に玉城朝薫五番のひとつに「二童敵討」があります。能の「夜討曽我」、「小袖曽我」に想を得て、1719年に冊封使歓待の重陽の宴(旧暦九月九日)で初演されたもので、題名は「護佐丸敵討」とも言い、玉城朝薫(1684―-1734)の組踊五番のひとつです。ストーリー自体は単純な敵討ちですが、尊大豪華な敵役、母子別れ、華麗な若衆踊りで構成されます。特に、鶴松、亀千代ふたりの少年兄弟の踊りが見どころでしょう。兄弟は13歳と12歳の設定で、変声期前の少年がたくまずして持つ「花」が朝薫の狙いです。したがって、成人やまして老齢の演者が兄弟をやっては「二童」ではなくなります。演者の高齢化が進んでいますが、若手、特に年少者の育成が望まれます。
家庭組踊
出様ちゃる者や薬缶ぬ按司
茶盆、ちゅーかー取い逃ちねらん
聞けば箪笥大主隠ちあん廒やい知らし火ぬあたん
明日明き廒明日や戦さ押し寄し廒
憎さ大主切り殺ち退き廒
夢ぬ間ぬ浮世楽しゅらん婢思みば
急じ此の事や早みぶさぬやー
鍋子ぬ子、あんびんぬ比屋
ふー
逃ちあん婢む廒
気に掛か廒居たる茶盆、ちゅーかーや
聞きば勝連に箪笥大主隠ちあん廒やい、今嬨我ね聞ちゅる
明日ぬ明明に戦押し寄し廒
憎さ大主切り殺ち退き廒
(後略)
(「ちゅーかー」は急須、「あんびん」は土瓶)
いかがでしょうか。この後、ひぬかぬ城(カマド城)に攻め込む様子が、家来のナベにより語られます。
これが一般に笑い受けされるには、第二次世界大戦前には古典の組踊がよく知られていた素地があったからです。事実、戦前の中学生もこの真似をして、仲間で大いに楽しんでいたそうです。うちなーぐち(沖縄語)が普通に使われていた時代には、組踊も現在の沖縄県人の大半が「何言ってんだか分からない」状態ではなかったのですね。